昭和48年04月22日 特別報修委員
・・・?持ち続けられると言う事は無いのですけれども、ね、何処かどの辺からか、崩れて来る。ま例えて言うと綺麗にこう、ま掃わいて外なら外を掃わくとしましょうか、確かに綺麗に、こう掃わいたんですけれども、肝心なその掃わき貯めた物を綺麗に塵取りに取って、そしてそれを捨てる事をしてないから、風が吹くともう、また散らかって行くという、ね、そう言う事がありますね。
一日を締め括って来ると、もうその矢張り、体も疲れますけれども、心が疲れるからです。ね、ですから心が疲れて来ると、矢張りもう、生きた生彩というか、生きた物が欠けますから、例えば、私は夕べはもう遅うにお風呂に入ったんですけれども、なんか疲れてお客さんがあってから、お神酒を少し頂き過ぎたもんですから、もう疲れて目が覚めた。風呂が入ってないけど、昨日も風呂も入るまいかと思うごとあるけれども、そう言う時が大事な訳ですね。
だからもう今日は疲れた時はもうお風呂も入るめ、寝たらですね、あくる朝がいかんです。いわゆる心の状態が、そこでですね、はあ、是りゃいっちょ是は修行と思うては入ろうと言う事にならにゃいかんですね。その入って垢を落とす、落とさん、そんな事は問題じゃないです。そいからもうきつかけんで、もう今日はざぶっと、それこそ、カラスの水あぶるとのごとしてから上がろうと思うたりする様な事がありますよね。けども修行と思うて洗おうと思うてですね。
洗ったりしよりますと、もう自然丹念に洗う事になります。その丹念に洗うておる内に、あの、しゃんと心して来るもんですよ。もう是は不思議です。そう云う様な事がですね、例えばこう掃わいた物を、あの掃き溜めに捨てる所迄が、そう言う様な事ではないかとこう思うですね。今日私ご神前で綺麗に掃わいてある、掃わいてそのすとって無いものですから、風が吹いてからまたこう散らかっている所を頂いたんですけれども、こりゃ皆さんの事だけではない私自身の事もそうですけれども。
昨夜のあのそうしたお風呂でもう今日はざぶっと入ってざぶっと上がろうかと思ったけどもさ、それを一つ修行と思うてとこう思うてね、修行と思うてと思うて丹念に洗わせて頂いたら、体も綺麗になるだけではない、丹念に修行と思うてと言う内に、心が又生き生きとした。いうなら信心の心というか精彩て云う物を取り戻している。そういう思いで休ませて頂くんですから、あくる日もまた有り難いと言う事になるのじゃないでしょうか、是もやはり信心させて頂く物の言うならば、日々是信心の稽古をさせて頂よる者のやっぱり心掛けだと思うですね。
どうぞ。